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「平林寺紅葉狩りと手打ち蕎麦の名店を訪ねる会」感想記

平林寺紅葉狩りの感想記
令和3年11月27日(土)午前10時、練馬駅北口に集合したのは吉岡光子、森武士、斎藤裕二、佐藤賢治、小高孝雄、そして私小林伸行の6校友です。

HP掲載_平林寺 野火止塚_20211127

HP掲載_平林寺 紅葉狩り_20211127

 早速、佐藤さん、小高さんの車に分乗して出発。大泉から新座へ抜けて平林寺前を通り過ぎ、名物そば屋『柿屋』へ。11時前に到着しましたが、既に先客が数人いました。場所が不便なところにあり「そば通」の人しか来ないおそば屋さんです。舞茸天ぷら付きの二色盛を注文。太い田舎蕎麦は食べ応えがありました。

 柿屋を出て、新座市役所駐車場に車を止め、歩いて平林寺へ。コロナ禍とはいえ、紅葉シーズンなので私共と同年配の方々が大勢並んでいました。

 金鳳山平林寺は650年前(南北朝時代)に武蔵の国岩槻に創建されました。戦国時代、豊臣と北条の戦い(小田原征伐)で北条支配の岩槻は秀吉軍に攻められ、寺院は焼失し、以後荒廃していました。

 江戸徳川の世になり、徳川家康の支援を受けて、家康の家臣大河内秀綱によって寺は岩槻に再建されました。孫の松平伊豆守信綱(俗称「知恵伊豆」)が川越藩主、老中になり岩槻の平林寺を一族の菩提寺としました。

 信綱が川越藩主の時、江戸の防災と水利活用のため野火止用水を引き、新座地域の新田開発を行いました。1663年(約360年前)、信綱の遺命を受けて平林寺を岩槻から野火止めに移し江戸の防火、鎮護の寺としました。臨済宗妙心寺派の禅寺道場で、総門、山門、仏殿等、江戸時代前期の風格を良く残しています。境内には大河内松平家の広大な墓所のほか、野火止用水や見張り場所であった野火止塚などの遺構が残されています。

 総門を入ると、山門の周囲に赤や黄色の紅葉が晩秋の青空に映えています。紅葉の下で記念写真。境内を散策し、野火止塚で一休み。5年前、第1回平林寺紅葉狩り(2016年12月3日)には、故宮本健一元支部長も同行され、ここで一緒にミカンを食べたことを思い出しました。その時は、本日同行の森さん、佐藤さん、斎藤さんも一緒でした。

 境内の散策は以前と比べると半分ぐらいに制限されており、1時間ほどで一周しました。風も出てきて寒くなってきたので、紅葉狩りを終え、練馬への帰路につきました。
(小林伸行記)