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至言 正しい行為をする人物を見分ける鍵

至言

至言去言、至為去為。斉知之所則浅矣(荘子 知北遊篇)

正しい行為をする人物を見分ける鍵

 

極寒の季節ですが、夕方に少し日永を感じ伸びてくる日脚が春の訪れを告げ、春光にさそわれ、寒風のなかに梅がほころびはじめる2月となりました。2月は東風解答、黄鶯睍院、魚上氷、土脉潤起、霞始靆とこよみは続きます。

日永といえば、旧暦の正月過ぎた頃、現在の2月中旬頃のお話しです。吉田松陰先生が実兄・杉梅太郎に宛てた手紙の最後に「喜ぶべきは春永々々」とあります。これは、松陰先生は野山獄中読書中の小窓で日永を感じ喜ばれたのではないかと推察されます。

「天行健なり」といいますが、これは、儒教の原点とされる「五経」の一つ、占いの原点である易経あるものです。「天行健。君子以自強不息」(天行健なり君子以って自ら強めて息まず)天の運行は一瞬のやむときもなく、力強くめぐっている。君子もそれに和して、勉め励む(自分の人格や能力を向上させる修養と、自分の持ち場での仕事に励む)この二つを実践できる)ことをやめてはならない。ということです。

このように四時の理運は一刻の已むことなく、はや木の芽出し・芽ぐみ・角ぐみが始まってきています。立春を過ぎれば地中の陽気に感じて、特に落葉樹の根は活動をはじめ水分を吸い上げ、枝頭の芽をふくらませるのです。論語に次の一節があります。

 

◆論語子罕篇9-27に歳寒、然後知松柏之後彫也(歳寒く然るのちに、松柏の凋むに後るるを知るなり)

冬の寒さが厳しくなったときに、はじめて、常緑樹である松や柏がいつまでも凋まないで寒気に耐えているように、人間の価値も不遇なときに発揮される。いつの時代でも匹夫小人が多く、松柏のような卓然たる君子はすくない。澁澤榮一翁は論語講義の中で、「ことに現代において松柏の節義を重んじる人物の少ないのを遺憾とする」といっています。人は環境に左右され、その観察は大変困難といわなければならないでしょう。

さて、人を観察する重要性が増している今日この頃です。今、正しい行為をする人物を見分けることができない人が以前よりも多くなってきているのではないでしょうか。政界でもあらゆる産業界でも。これを解くカギが論語にあるのです。

 

◆「視其所以。観其所由。察其所安。人焉痩哉。人焉痩哉。」為政篇第2-10

 (そのなす所を視、その由る所を観、その安んずる所を察すれば、人いずくんぞかくさんや、人いずくんぞかくさんや)

人を見抜くために間違いのないやり方として「視」「観」「察」の三つをあげています。

澁澤榮一翁は、論語講義において江戸時代後期の筑前生まれの儒者、福岡藩儒臣であった亀井南溟(1743-1814)の言葉を最初に述べています。「人を知るの方を語るなり。前篇に人を知らざるを思う、といわれたり、これこの語あるゆえんなり」人を知ることは実に難しいことであるといっています。

 

そこで孔子の教えた三つの鑑別法は意味があるのです。

為政篇第2-10で述べたのは、人を観察するのには、今行っている行動を観察するばかりではなく、その動機は何か、またそのねらいは何なのか、そこまで突っ込んで観察しなければならないということです。そうすれば、どのような相手でも自分の本性を隠し通せるものではない、ということです。

澁澤論語では、孔子流の三段階人物鑑別法をまことに的を射ているといっています。この「視」「観」「察」の観察法を実行すれば、外面に現れた行動が正しく、その動機も精神も正しいからと言って、もし狙ったところが、飽食暖衣・気楽に暮らすというのでは、その人物はある誘惑によって意外な悪をすることにもなります。最終的に狙っているところが正しい人物でなければ本当に正しい人物であるとはいえないということが分かるのです。その人物がどのように隠そうとしても、善人は善人、悪人は悪人と常に明白に判定できるのです。

 

◆「人之過也、各於其党。観過、斯知仁矣」里仁篇第4-7(人の過ちや、おのおのその党においてす。過ちを観てここに仁を知る)

人間はともすると失敗をしでかす。そのよりどころとなる教えがこの章句です。失敗の仕方を観察すれば人柄が見抜けるということです。失敗の仕方の観察の中身ですが、孔子は仁愛がキーワードであると教えています。たとえ過失を犯しても、それが仁愛に過ぎないことから起こったものであったならば許されるのだとしています。澁澤榮一翁は論語講義の中で、仁愛の過ぎて過ちを犯した西郷隆盛と仁半分不仁半分であったと大久保利通を対比され論評しているのです。

また、三条実美は外柔内剛ですが、仁愛な人としています。仁愛に富んでいる人物は、その欠点として、ともすると無定見のそしりを免れないと論評しています。

 

世界の名言から

◆「人雖有聡明、恕己則昏也」(金言童子経)人は聡明有りと雖も己を恕ること昏きなり 人才知がすぐれていても、自分の身の上のことはよくわからないもので、誤りがちである。

 

◆老子33章「知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強」他人の賢愚を見分けるのは知者であるが、さらに一歩進んで自己を知る者が最高の明者と言われる人である。

 

 

渡部 章

(練馬区地域支部副支部長、東京都北部支部副支部長、昭和41年政治経済学部経済学科卒)